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介護をめぐる意識に潜む ジェンダー問題
りぷるさっぽろ 2020 vol.52夏より
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更新日:
2020年12月22日
男女平等、女性活躍が必要とされている現代でも「介護」となると「嫁」「娘」が担うことが当然とされてしまいます。どうしてそのような意識が生まれてしまうのかについて、実践女子大学の山根先生にコラムを執筆していただきました。
みなさんは日頃、誰に介護してもらいたいと思っていますか?夫でしょうか、子どもでしょうか、それとも専門職でしょうか?介護に関する意識は、自分が「する側」になったときにも、「される側」になったときにも、ジェンダーの影響を強く受けています。
55歳以上の男女を対象とした内閣府の調査では、「必要になった場合の介護を依頼したい人」を「配偶者」とする回答は、男性は56・9%に対し女性は19・3%にとどまっています。
また40歳以上の男女を対象とした調査では「どこでどのような介護を受けたいか」という質問に対し、「自宅で家族中心に介護を受けたい」という回答は男性が24%に対し女性が13.9%と、男性の方が専門家ではなく家族による介護を求めています。なぜ誰に介護されたいか、どこで介護を受けたいかをめぐる意識にジェンダー差が生じるのでしょうか。以下では介護をめぐる意識に潜むジェンダー問題について考えてみたいと思います。
女性のほうが専門職に介護を期待する要因のひとつとして、女性側の男性の家事・介護能力への疑いがあげられます。介護には料理や掃除といった家事のスキルが必要不可欠な為、家事を苦手とする夫や息子にお願いできない、というのはわかりやすい感覚でしょう。ただし介護に必要とされる「能力」は家事のスキルだけではありません。日々変化していくニーズ(必要)を察知して臨機応変に対応していくスキルも必要です。「夫には自分の介護は任せられない」という感覚は、子育てや介護など他社の世話において求められる「感じること・考えること」が男性は苦手だという推測もあるでしょう。女性は自分が「介護」される側になったとき、「あてにならない」夫をとばして「娘」に期待をし、息子がいなかった場合には専門職に期待すると考えられます。
介護をめぐる意識に潜むジェンダー問題のもうひとつの側面として、女性に比べて、男性は家のなかで「家族に世話されること」に慣れているという点があげられます。日本の男性の家事・育児時間が非常に短いことはよく知られていますが、これは男性(夫)が女性(妻)の労働に「依存」することで生活してきた・していることを意味しています。自立を経済的自立ととらえるなら、より多く稼いでいる男性は「自立」していて、妻が「依存」しているように見えますが、生活や家事という面では、男性は依存的存在なのです。夫はこうした性別分業による「依存」の延長線上に「妻によって介護される自分」を位置づけることができます。
ひるがえって、常に家族に世話をする役割を背負ってきた女性は「家族に世話されること」に慣れていないので、家族に介護されることに「申し訳なさ」がつきまといます。少子化や非婚化により息子に寄る母親の介護も増えていますが、母親は老いても「息子を世話する」役割から逃げられず、息子に遠慮して自分の要求を伝えることが出来ないという面も指摘されています。一方、相手が「ニーズを察知する能力」をもつ娘の場合には、母親は安心して依存することができるのです。
また「する側」におけるジェンダー化された関係性は、介護をめぐる「きょうだい間の分担」にも表れます。女性は、姉妹同士では介護の協力体制を築けるのに対し、男きょうだいとは協力体制を築くのが難しく、男きょうだいが親と同居や近居をしている場合にも、遠距離介護を引き受けたり、親に対する罪悪感を感じていることが明らかにされています。こうした女きょうだいの責任感や罪悪感は、女性がより「思いやりがあり利他的」であるからというより、上途の男性への「あてのならなさ」に起因するといえます。
このように介護関係には、夫婦間の分業、母親役割、娘、息子への期待の違いなどジェンダーにもとづいて築いてきた家族の歴史が刻みこまれているといえます。
では、どうしたら私たちは、ジェンダーから自由に「する側」「される側」になれるのでしょうか。若いうちから積極的に子育てをしてきた夫であれば、介護をお願いしたいと思えるかもしれません。妻に子育てや家事を依存してこなかった男性は、妻絵の依存ではなく専門職による介護を選ぶかもしれません。またきょうだい間での協働は、介護がはじまる前に女きょうだいに偏らない分担の仕方を話し合っておくのがよいでしょう。「あてにならなく」なる前に「介護メンバーの一員であること」を自覚してもらい「あてになる」存在に変わってもらうことが大事でしょう。
もちろん男女とも「家族に介護されない自由」をもてることも大事です。誰もが家族(妻・娘)に依存しないで終生を過ごせる社会サービスの充実が求められます。