行くよ、未来

こども若者事業部

TOP > 私たちの思い > こども若者事業部《こども劇場課》

こども劇場課

最終目標は、札幌=人形劇の街

INTERLOCUTOR

  • 課長 こども劇場館長 Yabuki Hidetaka
  • 指導員 やまびこ座 Onishi Eriko
  • 指導員 こぐま座 Suma Kouhei

進行 係長 Yamada Hirotaka

担当しているからこそ分かる、こども劇場課のこと。
部門長と若手職員、それぞれの思いを語り合ってもらいました。

受け継がれる
「人を育てる」
ということ

こぐま座とやまびこ座ができるまでの経緯を教えてください。

矢吹 中島児童会館は、戦後の子どもたちに豊かな文化を経験させたいという思いから作られました。その中で人形劇も一つのジャンルとして特化していき、こぐま座ができました。こぐま座は今年で44年、やまびこ座は34年になります。

こども劇場課の使命とするところは何でしょう?

矢吹 全国的、世界的に見ても、子どもに特化した専門の子ども劇場や人形劇場はとても稀です。子どものお芝居だけを年間に計400回以上やっているところはほぼありません。今もこぐま座は人形劇専門、毎週土日に公演。これは自慢していいし残していくべきところです。

なぜそんなことが可能だったのでしょう?

矢吹 やはり「地元で人を育てる」ということです。人材育成はこれまでの運営の根幹をなすもの。ただ東京から劇団を呼んで公演してもらうだけなら続かなかったでしょう。44、5年も前にこの方法を始めたのはすごいことです。

須摩 私は小さい頃からやってるから当たり前のように思っていました。

矢吹 そうした歴史的背景が「未来ある子どもたちの夢をはぐくむ劇場づくり」という基本方針に集約されています。

やまびこ座やこぐま座にはいわゆる「座付きの劇団」はいないんですか?

矢吹 初心者や市民団体を育成し、ここで公演してもらうシステムをずっと取ってきました。いわば市民劇団がうちの座付き劇団です。毎年講習会を開き、人形劇の技術指導はもちろんグループワークも行います。公演以外に劇場の事業にも携わってもらい、一緒に劇場を作り上げるのが特徴です。

大西 設立当初と今では、活動している人たちも様変わりしたみたいですね。

矢吹 最初は仕事終わりの社会人が多かったかな。次に学生のサークル。そのうちお母さんたちが主力になってきた。昼間の講座に4、50人は参加していたけど、社会や経済の変化でお母さんたちが忙しくなり、今では十数人程度。「その次」の対象として、子どもたちを札幌の文化を担う大人へと育てていくことになりました。

須摩 見る方の年齢もどんどん下がっていますよね。その子らに分かりやすく作ろうとすると、内容との兼ね合いが難しいです。

矢吹 もちろん大人の鑑賞に堪え得る作品もあるけどね。今は演劇系の人たちなどが人形劇に興味を持ってくれるようになってきた。それがこぐま座でやっている巨大人形劇やプロデュース人形劇にもつながっているんだよね。

大西 時代の変化に対応して我々もいろいろ変えていかなきゃいけない部分もあるけど、守るべき伝統もあるはずですよね。

矢吹 一番残すべきは工作室かな。モノづくりは人づくりにつながる。劇場にモノを作る場所があるというのはすごく重要だから、工作室の活用は常に考えていきたい。

須摩 それって時間はかかりますよね。

矢吹 うちは効率化や合理的といったものからはかけ離れているよね。でも、モノづくりも人づくりも本来時間がかかるものだから、世の中のスピードが速くなっても、うちはそこを守って丁寧に作り続けたいな。面倒だし離れていく若い人もいるけど、残ってくれる人もいる。そういう人たちを引き込み、増やしていくことが必要だね。

須摩 私は自分と同世代の若い人が作る劇団がもっとあればいいなと思っています。刺激になるし、相手よりいいものを作ろうという気持ちが生まれるんじゃないかと。

矢吹 子どもの頃からやっている人がどうやったら大人になっても続けるようになるか。そこは課題だね。

大西 この前のあおぞらキッズシアターで、3年生の時に人形劇をやったという地元出身の方が、久々の帰省で観に来ていたんですよ。経験がなければそういうきっかけもなかったわけですよね。

いろいろ試して、
可能性を模索する

課のビジョンを考えていくにあたってどんな思いを込められましたか?

矢吹 設立当時の思いや背景は忘れず、良いところはきちんと引き継ぐことです。子どもたちを取り巻く状況は変化していますから、うちが創る文化や芸術をどうしたら役立てられるか、時代ごとの取り組みを振り返りながら模索しなきゃならない。

人を育てる中での、劇場職員の存在についてお話しいただきたいのですが。

矢吹 劇場課も活動協会の一部署なので人事異動もありますが、常に何人かは人形劇の指導ができる専門家を置いておかなければなりません。業務はほかもたくさんあるので、それらとバランスを取る必要はありますが、やっぱり自分で実際にやってみないと理解できないことはあります。

須摩 昨日、こども人形劇団の活動を担当して、自分がやってた頃とは子どもたちの感じ方が違うのかなと思いました。

矢吹 小学生当時の須摩君がテレビの取材で、「人形浄瑠璃はかっこいい」と言っていたのは今でも印象に残っているよ。この年でかっこいいって珍しいな、こいつ変な奴だなって思った(笑)。そういう感覚を大事にしないとね。子どもの感じ方こそ時代に沿っているわけだから。

まさに自分が経験したからこそ気付けたり、もっと広げられたりするんですね。

大西 観る人の年齢が下がっているというさっきの話は私も思い当たる節があります。来ているお客さんの顔を想像して作るからどうしても小さい子向けの話になりがちです。でも多様な作品があって、どれに興味を示すかは人それぞれかもしれませんね。

矢吹 そう、年間の客層が全部同じである必要はないんだよ。浄瑠璃をやると年配の方がたくさん来てくれるし、幼児向けの分かりやすいものや、小学生向けにもう少し内容が濃いものがあってもいい。本当は創り手側がいろいろチャレンジしてほしいんだよね。

すそ野を広げる、
きっかけづくり

最近、児童会館の人形劇クラブが活発に活動している印象がありますね。

矢吹 人形劇クラブは、初めて6年くらいかな?その前に元町や新琴似でいくつかやっていて、子どもたちや担当の先生たちの反応がとても良かったので、ほかのところでもできたらいいね、となったんだよね。劇場になかなか来られない子たちもいるので、すそ野を広げられるんじゃないかと。

大西 まだ劇場の存在を知らない人も多いですよね。児童会館の職員も劇場に来たことない人が多いかもしれません。

須摩 同期からもこぐま座ってどんなところか聞かれますし、中島児童会館とつながっていることを知らない人も多いですね。

人形劇クラブも7館もあると人手が足りないんじゃないですか?

矢吹 それも課題の一つですね。単純に人を増やせばいいという問題でもないけど、何人か劇団さんやボランティアの人がいると助かります。でも主導はやっぱりうちなので、誰か一人に任せるのではなく、職員全体のレベルも上げていかなければならない。

職員自身のレベルが上がれば、その人が異動しても同じことができますね。

矢吹 せっかく札幌には児童会館や劇場がこんなにあるんだから、あちこちで自主的にそうしたことが行われればおもしろいですよね。

須摩 レベルアップですね…。ここ2、3年で、巨大人形劇の中で演劇の人たちと共演する機会が増えてきました。みんなその世界では知らない人がいないくらいの有名な人たちなので、そこに関われることはものすごい経験値になります。

矢吹 ありがたいよね。その相乗効果でさらにおもしろくなるし。

学校の授業の中でお芝居を観る機会はあるのでしょうか?

須摩 小学校や中学校には芸術鑑賞教室みたいなものがありますよね。演劇の劇団が来てやってくれることが多いです。また学習発表会の最後に歌を披露するために、劇団四季を観に行ったりします。

私は芸術鑑賞教室で人形劇もできたらいいと思っています。そこで初めて人形劇を観て興味を持ち、やってみようと思ってくれる子も出てくるかもしれません。そのためには質の高い作品を出す必要があります。

矢吹 なるほど、小学校からKitaraに行ったり、hitaruで劇団四季を観たりもするけど、学習発表会のためだったのか。小学生がこぐま座かやまびこ座に行く仕組みも作れたらいいね。

大西 そうですね。最初は無理矢理でも、それをきっかけにして来てもらわないことには始まらない。

矢吹 須摩君が言うように、見合った質の作品を見せていくことも必要だね。

大西 人形劇を観て、感動してもらえるのが一番いいけど、街探検などで建物の中を見てもらうだけでもいいと思います。展示している人形も、いつも画面ばかり見てる子どもたちにとっては目新しかったりしますからね。

矢吹 気軽に来てもらうだけでもいいかもね。少し遠くから来た小学校2年生の子たちが、たまたま劇団さんが稽古してたところを見て大喜びして、その後また何人か遊びに来ました。

大西 もう少し校区探検で来てくれたらと思います。館長は有名だから、昨日も館長に会いに来ていた子たちがいました。そういう関係性も一つの手かもしれない。

矢吹 地域との結びつきも大切だね。毎年夏に、やまびこ座でお祭りをやるのも関わり方の一つ。それも普通のお祭りではなく、劇場だからこそできるものを打ち出すことが大事かな。

須摩 夏祭りは、子どものために何かしてあげようと思ってくれる大人がこんなにいるのかと感心します。この30年で培ってきたんでしょうね。

大西 みんなどこで聞いたのか、子どもがたくさん来ますよね。でも劇は観に来ない。夏祭りをやらなかったら忘れられてしまうかも。

大西さんは、劇場に異動してくる前は児童会館で人形劇クラブ担当だったそうですが、その時の子どもたちの様子はどんな感じでしたか?

大西 やりたくても親にやらせてもらえない子もいます。でもやれば楽しさが分かって長く続けてくれるし、一度経験している子は次の年も頑張ります。自分で作った人形には愛着が湧くようで、こちらもうれしいです。

始めは恥ずかしがっていた子も、ちゃんと演じられたときは自分の可能性に気付くんですよね。親も自分の子どもの晴れ舞台は絶対カメラを持って観に来ます。それをきっかけに初めてやまびこ座に来る人もいるので、集客だけでなく周知にもつながっています。

ここがまさに拠点になっているというわけですね。

矢吹 目指すのは「アートの街・札幌」。我々も「人形劇といえば札幌」というイメージを広めていかなきゃ。そのためには守るべき「うちらしさ」と、新しくすべき部分とのバランスが大切です。その役割を担っている若い人たちが、おもしろがって取り組むことが重要かな。

須摩 今回、この座談会に参加してみて、改めて人形劇や劇場の楽しさ、ワクワクを、これからも次の世代に伝えていけたらいいなと思いました。

大西 「未来ビジョン」って、立てるのは簡単ですよね。でも年月がかかる人材育成もそうですが、今やっていることが目に見える結果となって実感できるようになるまでには、すごく時間がかかると思います。

矢吹 だからこそ、今やっていることを大事にしていくといいんじゃないかな。自分も今それができているかどうか分からないけど、積み重ねていくしかないし、こうやって仕事で子どもたちと関われるのは幸せなことだと思った方がいいよね。

私たちの思いTOPへ