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企画事業部

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企画事業課

先輩たちのDNAを、次の時代へ

INTERLOCUTOR

  • 部長 Ishii Kazuhiko
  • 指導員 Sakaki Ryouta

進行 係長 Yoshikawa Tomonari

担当しているからこそ分かる、企画事業課のこと。
部門長と若手職員に、それぞれの思いを語ってもらいました。

キャンプでのグループワークが原点

長年、企画という部署に携わっている石井部長に、企画事業課の歴史についてお聞きしたいのですが。

石井 企画事業課は、1980年4月の設立時より行っていたキャンプや野外体験活動、受託事業などの自主事業を今に引き継ぐ部署として存在しています。

財団の始まりとなった滝野自然学園は、そもそも教育委員会より委託されていたのですが、札幌市より2009年に取得し、当財団の施設として自然体験活動をはじめ、自主事業をさらに幅広く発展させる拠点として我々が運営してます。

財団を設立した先輩方は、「グループ活動の推進」を基本にさまざまな事業を行い、実績を認めていただき多くの施設を委託されたんですね。そして、その流れは今も続き200か所を超える施設を抱えるに至っていますが、この40年の流れの中で、変わらず存在し続けてこられたのは、企画事業課の役割が大きいと考えています。

各部署の資源を生かし横断的に事業展開

すると滝野自然学園は企画事業課にとって象徴的な施設なんですね。

石井 財団が市から委託を受けて最初に運営を開始した原点(施設)ですからね。うちの職員がここでさまざまな事業を経験し、そのスキルをもって各施設で活躍しています。滝野自然学園があるからこそ財団が大切にしてきたことを継承していくことができる。これからもここは原点としてあり続けると考えています。

 滝野自然学園は2009年からという話でしたが、それ以前はどのように活用されていたんですか?

石井 以前は、教育委員会が1971年旧滝野小学校跡地に野外教育施設として開設して、小学5年生の宿泊学習をしたり、野外体験や野外教育の活動に関わる人たちの研修の場として使用されていました。

1980年に委託を受けて運営を開始し、1989年青少年山の家が完成し、5年生の宿泊学習の場が移った段階で、学園は本来の役割を終えてます。しかし学園を残してほしいという地元町内会の声と、続けていきたいという我々の意向を受け、教育委員会は、市の施設として運営を継続していたんですが、ついに1999年3月委託業は終了してしまいました。

その後は約10年間は市より施設を借り受け、地元町内会と運営委員会を組織して事務局を我々が担ってきた経緯があります。2009年に、財団が土地と建物を購入し、現在に至っています。

 当時中心になった方々が、やっぱり自然学園は必要な場所だと考えたんですね。

石井 そうだと思います。事業や、実務研修に参加する職員と一緒に学園事業を行うことによって、先輩方の行ってきた事業の流れを体感することはすごく大切に思っています。

今いる部長、課長、係長などは滝野自然学園や、自主事業を経験しているため、さまざまな事業を企画し、運営することができます。その目線で運営や管理を行っているので、他財団とは一味も二味も違います。管理職、館長を含め全員プレーヤー目線で施設管理を含めて事業を行っていくため可能性が広がり、様々な方面から評価されてきたところでないでしょうか。

原点であり礎になるものを守り、伝える。これが企画事業課のあり方のポイントの一つであり、忘れてはいけないんじゃないかな。

改めて企画事業課の業務のポイントはどんなところですか?

石井 大きくは、事業を通じて多くの職員にさまざまなノウハウを伝えていくことですかね。

あとは、財団の業務の多くは札幌市から受託している指定管理業務ですが、さまざまな部局から施設をお預かりしています。巨大な自治体である札幌市は、部局間の連携が難しく横断的事業はなかなか生まれにくい。しかし我々だと例えば子どもの事業を受託した場合、教育委員会の施設や、子ども未来局の施設、環境局の施設などを結びつけて事業を柔軟に企画することができるんです。

小さい積み重ねで
信頼を得ていく

課として関わった札幌のまちづくりで、今までで印象に残っている事業について教えてください。

石井 さっぽろ雪まつりはやっぱり印象深いですね。かかわるまでは自衛隊が作っていて見るだけのお祭りと思っていたのが、「担い手として自衛隊から技術を引き継ぎなさい」と、言われて驚いたことが思い出されます。我々がかかわる以上は、市民不在の雪まつりから、ボランティアと一緒に作り上げる市民中心のお祭りへと変化させていく意気込みでしたね。

現在は大通会場大雪像5基中3基の制作隊長の派遣と1基の大雪像制作、つどーむ会場の滑り台などの制作と運営を担うまでになりました。つどーむは大学生、高校生の力を借りながら大雪像は市民ボランティアや、児童会館の子どもたちと一緒に作っています。

手掛け始めた当初からかかわり方は具体的にイメージしていたんですか?

石井 はじめは、私たちが学ぶところから始まり、徐々にボランティアとして大学生や子どもたちを巻き込んでいます。つどーむの運営は、大学生との連携だったので比較的スムーズに行うことができましたが、大雪像は難しかった。作業員は、もちろん重機や、足場など専門の方がいて現場を運営しているので最初は「危ない、邪魔」と感じるだろうなと思い、試しに少人数の子どもたちに来てもらい、現場の大人と交流をしたりしながらやってきました。認識を変えるまでに3年はかかりました。

雪まつりのような大きな仕事も最初は小さい仕事があり、人とのつながりと実績で大きくなったのですね。

 まさしく人と人とのつながりですね。

石井 企画事業課では、いろいろな仕事を熟知した人材が異動してきます。財団はこれだけ枝葉があって多岐にわたりやっているのは、横のつながりを大切にして評価を積み重ねていった結果、一つずつ仕事をいただけていると言えます。

いろいろな人材に来てもらって、ここで学んでもらうという意味から誰でも活躍できるということですね。

石井 はい。うちにもいろいろな人材やノウハウを入れてもらえる点を考えれば、希望する皆さんに来てもらいたいですね。即戦力にとらわれず楽しみながら仕事をして、そして財団の原点を知ってもらいたいです。

先人たちが培ってきたものを受け継ぐ

榊さんは、企画事業課の強みは何だと思いますか?

 石井部長の話にもあったように、諸先輩からのDNAを受け継ぎつつ、いろいろなことに挑戦しそれを実現させてきた実現力と、法人と関わる渉外力なのかなと思いました。財団もそういう時代のことを知らない若い職員が増えているので、私たちが実務研修の機会などでしっかりと伝えていかなければ。今この課にいる指導員は私しかいないので、この経験を独り占めしているのがすごくもったいないです。

ノウハウをしっかり共有して、それぞれの強みを生かした事業を行い、財団として一丸となって進んでいく。コロナ禍のこういう状況下だからこそ、うちが音頭を取り、率先して連携の機会を作ることが求められていくのかなと、今話を聞いていて感じました。

諸先輩方のDNAをちゃんと残していかないと、ノウハウを持っている人がいなくなってしまいますね。

 企画事業課も今は小さくなってしまって、自分もどれだけDNAを持てているのか心配になります。

石井 そうですね。まずは動きながら覚えていくことです。知識や議論だけではなく、体験からも感じてもらったほうがいい。やっぱり一緒に活動していく中で成長できるし、そこから派生して事業の中で人とのつながりも生まれる。

今まで先輩方が考えたキャンプのプログラムなんかにも、そのエッセンスが全部詰まっていますよ。何のためにキャンプやっているのか、何のためにカレーライス作るのか、なぜここでテントを作るのか、たくさんのことがわかってきます。

それに活動協会の中には、各施設ごとにそういうことを実践していた諸先輩方のDNAを持つ人たちがたくさんいるので大丈夫です。

 ありがとうございます。それと、財団の横のつながりは、今後意識していかなければいけないんじゃないでしょうか。

石井 今までも意識して来たけど、より一層、という意味でね。

 ですよね。もちろん、それぞれが専門に特化していけばそこは強くなっていくんだろうけど、逆にそれだけで終わってしまいますよね。

石井 うん。横のつながりがあるからこそ、うちは今までどんどん大きくなってこられたからね。特に職員が増えていくほど意識は薄まっていくんだろうけど、社会情勢が変わっても方向性を示していく課になりたいと思っています。

「体験」を続けていくにあたって、最近取り組んでいることや、これだけはなくしてはいけないと思っていることは何ですか?

石井 「体験」って、仲間と手を取り合って分かち合うというのが根本にあるじゃないですか。今のコロナ禍では人と手を取ってはいけないし、集まってもいけないですが、バーチャルな体験というものもあるんですよね。

児童会館から子どもたちを滝野自然学園に呼んで、野菜やイモの栽培を体験してもらうという事業を、去年まで企業と一緒にやっていましたが、今年はできなくなりました。代わりに、企業や職員が野菜やイモを植えたり育てたりしているのをリモートで子どもたちに見せて、遠くで自分が体験したような気分を味わってもらいました。もちろん仲間と一緒に実際に体験した方がいいのは分かっていますけど、あれも一つの方法としておもしろいとは思いました。

ただ、グループを作って、仲間づくりをして、みんなで事業を立てていくという、昔の先輩方のやり方がある。あの離れがたい仲間意識の結束というのは、バーチャルではできないものなんだよね。だから今この時点では、仲間と一緒に実際に体験することを決して諦めたくはないんだよ。

コロナの影響で先が全く見えない状況ですが、未来に向けて、企画事業課はどうあるべきだと思いますか?

石井 新型コロナウイルスの影響で、企画事業課も昨年までとは一変しました。イベント事業や受託事業ができない、非常に難しい状況です。企画事業課がここからどのように進むべきか、真剣に考えなければいけない重要な時期に差し掛かっています。

 大切なのは、途絶えさせないということでしょうか。

石井 願わくばまたキャンプファイヤーなどをやりながら、子どもたち同士が手をつないで遊べる世界に戻ってほしいですね。1年先か2年先なのか改善するイメージを見据えた仕掛けを作っていかなければいけない。もちろんそこにうちの職員が関わることが大事です。

 これこそ活動協会の趣旨ではありますよね。人とのつながりはこの先も常に必要だし、それがあってこその「活動協会」であり企画事業課という。

石井 今まで我々は、外とのつながりでお仕事をいただいていて、それをうまくほかの課とつなげて一緒にやらせてもらっていたけど、今、外の仕事がどんどんなくなっているよね。今までのノウハウを還元していくというのは、一つ大事な視点としてあるのかなと思います。

 その点、この部署は自由に動きやすい課ではあるんじゃないでしょうか。そういう視点を持って事業を進めていけたらいいですね。

石井 先輩からは、子どもが健やかに育つには「遊び」、「仲間づくり」、そして「自然」の3つが必要だと教わりました。そこは外すことなくこれからも取り組んでいきたいですね。仲間づくりが難しくなっている時代ですが、それでもこの3つはこれから大事にしていきたい。そして後人にしっかりと伝えていきたいし、できれば受け取ってほしいと思います(笑)。

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